とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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LGBT批判は自分に跳ね返ってくるかもしれない

最近更新滞りがちなじじです。

 

この間の日曜は合唱練習後に飲み→ゲイバーはしごで、終バスで帰るという充実ぶりでした。翌日眠かったけれども。

ゲイ合唱団員と飲むの、楽しい。

趣味を共有している+セクシャリティが一緒なので、普段できない話もできて。解放感が半端ないです。口調とかだんだん染まってきたかもしれません(?)いや多分もとから…

 

今日は賛否両論あるかなと思われる記事です。

どう書こうか迷ったんですけれども、LGBTのお子様を持つ親御さんに向けてなのか?LGBT当事者に向けてなのか?自分に向けてなのか…

 

最初に断っておきたいことは、批判するために書いているのではなくて、こう解釈したほうが受け入れやすいんじゃないのかな?と思って書いています。

 

では…

 

「ゲイである原因を作ったのは誰なのか?」という問い、はっきり申し上げて価値のある問いではないし、下衆な問いであることは承知しておりますが、これにあえて答えようとするならば、冷たいようですが、「子供を作った本人たち、あるいはどちらか」と言えるでしょう。

僕は後天的に男性を好きになったわけでないことを知っているし、ごく一般的で良心的な両親はゲイになるような教育なんてしてないわけです。誰だってそんなことしようとしないよね。

同じような似た環境で育った、兄弟はストレートですし、教育が原因でゲイになったわけではないと思います。

 

かといって、別の環境要因、例えば、男性から性的ないたずらをされた経験なんてものもないし、どこかでそういう行為を目撃したり、そういうビデオを観たりなんてこともないわけです。

 

少なくとも私はネイティブゲイなんで…

ネイティブゲイ拝借しまっす。

chuck0523.hatenadiary.jp

 

となった場合は、遺伝的な要因か、遺伝ではないもののそれに近い機構(というものがあるそうです。遺伝子に組み込まれているわけではないとのこと)による要因なわけなんですよね。

 

ちなみに、同性愛者になる原因は解明されていないらしく、××がかかわっている可能性がある…という程度にとどまるそうです。

なので、ここでも個人的な経験を除いては断言できません。そのことを念頭にお読みいただければと思います。。。

 

私は生まれ育った環境要因に思い当たる節は全くないわけなのですが、「環境要因もある」という説もあるそうです、中にはそういうことを自覚されている方もいるのでしょうか?

 

でも、どちらにしろ、幼いころというのは育てる人の影響が強いわけなので(幼子は一人では生きていけません。すぐに死にます)、誰のせいか?と言われたら、「両親」である可能性は高いわけです。

 

で、ここまで書いてきて何が言いたいかと申し上げますと、「ゲイに生んだ親を恨んでいる」と言いたいわけでは決してなくて、「原因を作ったとしてもそれが本当に悪いことなのか?」と言いたいということです。

ゲイである子供は不幸なのでしょうか?

私個人の体験で言えば、ゲイであることでイヤな思いをすることはあれども、少なくとも、それで不幸だとは思っていません。むしろ、ここ1年そこそこで、素晴らしいたくさんの出会いがあって、今がこれまでの人生で一番幸せな時なのかもしれません。この先はもっとかもしれないし、わからないけどね。

 

子供がゲイであるということを知った時に、自分を責められずお前がゲイであるのが悪いと責める方もいらっしゃるようです。それはお互いにとって不幸なことだなと思います。

また、子供が責められずとも、自分がゲイであることで両親が悲しんだとか自分を責めたとしたら、それは子供にとっては自分が責められるのと同じくらい悲しいことであります。

 

なので、子供がゲイであっても、自分や当のお子さんを責めないで欲しいなと思います。

 

そして、責めるとしたら「ゲイであることが不幸である、悪いことである」という定義の方なのではないでしょうか。

「そんな定義ない」とおっしゃるかもしれませんが、それに近いことが定義されてないと、このような感情が湧きあがる理由が説明できませんよね。

少なくとも、このように考える人にとっては、一般的な認識として「ある」と言えるのではないでしょうか。

 

ちなみに、私はそんなことないと思っております。

別に犯罪を犯しているわけではありません。人に著しく迷惑をかけて生きているわけでもありません。男性同性愛者だからと言って、男性に性的に迷惑をかけてもいません。悪いことはしていません。

ゲイ=犯罪者ではありません。

ゲイの中に犯罪者はいるでしょうが、人間の中にも犯罪者はいますよね。かといって人間=犯罪者ではありませんよね。

 

それに存在自体が不都合であるとすれば、淘汰されていたり、発生率がもっと低いはずだと思います(でなければ、種として危う過ぎる)が、このデータが正しいと仮定した場合に、そうとは言い難い比率で存在していると言えるのではないでしょうか…

jobrainbow.net

こんな比率で種の存続に問題がある存在がいたら、とっくに滅びているような気がするのですが…そんなことない?

 

親御さんとしては、孫の顔を見られないという不幸は確かにあるかもしれませんが、子供を作らない、作れない人はゲイに限りませんし、ゲイでも子供を作っている人もいます(女性と性交して作る人もいるし、代理母などの形で作る人もいる)。

 

 

社会通念のようなもので価値観を定められて生きている人は本当に多いと思いますが、その社会通念で悪とされているものは本当に悪いことなのでしょうか?

それは、単に自分を苦しめるだけのものなんじゃないの?と思います。

 

子供がゲイであるという事実は変えられません。

変えられないものを責めても現状は良くなりません。

 

一節によると、もともと日本は同性愛に寛容な文化だったようで、同性愛嫌悪はキリスト教文化が浸透した影響らしいというのを読んだことがあります。

 

皮肉なのは、キリスト教文化の方が先に「自分で変えることのできない属性で差別をしてはならない」という共有認識を確立したことでしょうか。

 

LGBTの人間が案外、周りに普通にいることが知られれば、カミングアウトしてショックを受けることも減るはずなんですよね。

 

カミングアウトをすると相手に負担を負わせる可能性があるから躊躇する、という人がいて、私も親にはできないんですけど、カミングアウトするのが悪いことと思われるのも悲しいなと思います。

 

アウティングの問題だって、ここの認識が変わればなくなるはずなのにね。

 

 

って、書きすぎて論点がぼやけてきたかなぁ。

 

LGBTであることが悪いと思うのは、全体不幸だと思います。

 

ストレートのみなさんも、いつLGBTの親になるかわかりませんよ。

私の親なんか想像もしてないでしょうね…

 

ちなみに、LGBTに限らない話でもあると思います。人種差別とか宗教差別とか障害者差別も一緒。批判すべき対象はどれなんでしょうか?

Hand in Handあらためて

ちょっと期間をおいて落ち着いてきたので、改めてHand in Handの感想を書いてみようかなと。

この前は走り書きみたいでしたので…

といいつつ、今回もまとまるかは不明。

 

www.hih2019tokyo.org

この日曜日にあったばかりのイベントでした。

シンガポールから1つ、台湾から2つ、韓国から2つ、香港から2つ、中国から3つ、アメリカサンフランシスコから1つ、オーストラリアシドニーから1つ、このイベント向けに作られた団体1つ、日本から3つ、出演者だけで総勢500名という大規模なイベントでした。

金曜日の夜からパーティーがあったりと人によっては、がっつり3日間交流できたイベントだったのではないでしょうか?

 

私は、絶賛体調不良中でマスクマンだったこともあってか、ほぼ誰とも話さず(ただたんに需要がなかっただけの可能性もあるけど、哀しいので考えない)、あぁ、何しに来たんだろう…的な気持ちもありました。この際国際結婚でも!なんて半分本気で思っていたので!あぁ、北京の背の高いイケメンさんに話しかければよかった…

こんな機会においても、及び腰な私。「パーティーで知り合った人とキスしちゃった!」なんて人もいるなか、あぁあダメダメ。

 

とまぁ、反省もあるわけですが、でもこのイベントに参加できて本当によかったなと思いました。

結構な団体さんが日本の歌を歌ってくれたんですよね。アニメソングを歌ってくれた団体さんもあれば、歌謡曲を歌ってくれた団体さんもあり、ガチ合唱曲を歌ってくれた団体さんもありました。新曲を練習するって、なかなか大変だったと思うのですが、開催国に寄り添ってくれたのが嬉しい。

他にも、暗譜で歌って、ガチ振り付けの「Theゲイのショー」ってテイストの団もあったりして、それはそれでとても面白かったです。なんというのか、ストレート男にはない(というか多分できない)仕草で、もしかしたら女性のような、いや、もしかしたらよりセクシーかも、なんていう振り付けとかしなやかさとか見られて、面白いなと思いました。

 

当団も、サービス精神旺盛に、スクールメイツダンス付の歌あり、ガチアカペラ合唱あり、振り付け込みの洋楽のメドレーありと、バラエティに富んだラインナップでございました。

好評を頂けたようで安心。

 

私、洋楽の伴奏をしたのですが、録音を聞いてみると、期待して聞いた1度目は「orz...」って感じで、改めて聞くと「あっ、そんな悪くないじゃん」って感じでした。

ということで、60点くらいでしょうか。

団長から「ピアニスト世界デビューだね!」なんて言われて、でも現実的に「そうかも!」なんて妙に納得してしまいました。

終わってから事の重大さに気づくという。

 

最後に全体合唱があったのですが、東京のイベントのために作られた「A Freedom Song」も素敵だった(最初暗い曲だななんて思っていたんだけれども、短調長調の救一筋の救いの光的なつくりが心地よかった)し、Hand in Handのイベントのために作られた「Hand in Hand」も素敵だったし、あわよくば、万全の状態で歌声の一部を担いたかったけど、あの場に居られたこと自体が幸せだったんだなと。今になって思っています。

わが団の団長(のみならず偉い方々)は、団運営自体で大変ななか、さらに大変な思いをしてこのイベントの運営に携わっておりました。

団長はもともと感動しい屋で、涙もろい人ではありますが、この全体合唱が始まった時に大号泣してしまっていた。

なんかでもいい人だなと改めて思いました。

全体合唱は舞台上に外国から参加の400人、舞台の下に日本勢100人がいたのですが、後ろから400人の声、周りから100人の日本の仲間の声が聞こえてきたら、一瞬でスイッチが入ってしまったようです。

 

後日改めて、個別に役割を担ってくれた団員、参加してくれた団員、見学に来てくれた団員、イベント期間中に迷惑をかけただろうに文句も言わずに付き合ってくれた団員、とまぁ、もれなく全団員へ、自分の言葉で感謝のメールをくれた。

それを見て、「あぁ、僕はこういう団長と一緒の団に居られることができて幸せだな」なんて思いました。

所属団愛が強まるイベントでした。

 

幸せだったなぁ。

この幸せ、この時で終わりにせずに続けていきたい。

団長も言っていたことだけれども、私にもこういう仲間が必要。

 

 

最後に…

ご本人のブログですでにご記載くださってますが、このイベントのために語学スタッフをお願いしたところ、快諾してくださったchuckさんにほんまお礼を言いたいと思います。

chuck0523.hatenadiary.jp

ほんと、ありがとー!

落ち着いたら、また飲みに行きましょうねw

 

あだすも、英語とか中国語とか勉強したほうがよいなぁ。

英語はめっちゃ片言、中国語は第二外国語で取っていたけど…「我是日本人(私は日本人です)」しか覚えてない…

Hand In Hand

帰りのバスで推敲なしで書いてるので多少読みづらいのはご容赦くださいませ。


終わりました。
アジアLGBT合唱祭。

アジアのみならず、オーストラリアとサンフランシスコからも。総勢500名の参加者に、500名のお客さま。けっこうな規模のイベントでした。

どの団体も作り込んで来たなというできで、鑑賞してても飽きませんでした。
ラストの合同合唱の画は多分壮観だったとおもう。

男性が多いのはなぜなのか?
混声チームもそこそこあって、でと男性のみのチームは多かったけど、日本は3チーム全部男性のみという。

楽器チームも男性のみが多くて、ゲイとストレート女性という団もあるけど、レズビアンのチームはないのか、接点がないのか、不思議ではある。

体調が絶賛大不調だったので、本気では楽しめなかったのが、残念ではあるが、参加だけでもできて良かったとは思う。

最低限の仕事の伴奏はなんとかなったし、まぁいっか。ところで、誰かピアノ聞いて愛の告白とかしてくれてもいいんですよ(爆)

本当はウェルカムパーティーとアフターパーティも出たかった( ;∀;)
結局、多団の皆様とは全く交流がなかったわん。イケメンさんもいたのになぁ…

今まで話したことなかった、団の新人さんと話せたのはようござんした。
しかし、やっぱ40代に見えるみたいなのよねぇ。

まだ40までは数年はあるんだけどなぁ。

さて、体力の回復ができずにずるずる来てしまったが、地域のこととかあって休めない。今大変ピンチである。
早く治らないかしらん…

遊びすぎちゃったかなぁ…

すごく疲弊しております。

一昨日の夜から昨日の夜まで、ゲイ仲間と遊び倒してしまいました。

そんでもって、今日は今日で車往復でかつ半日くらい仕事していたので、もー、ダメぽです。風邪をぶり返さないようにしなくちゃ…

 

いやぁ、でも、一昨日から昨日は本当に楽しかったなぁ。

一昨日は、最近不定期開催になりつつある、ブロガーさんとの飲み会。1軒目は普通の居酒屋で、2軒目はお一人が行きつけ(?)のゲイバーでございました。同い年くらいの店子さんがかっこよかった…

ざっくばらんなお話ができて楽しい!

でも、私はちょっと恥ずかしがっちゃってるかもな感じで、うーん、もっとうまく自己開示しないとなぁ。まだセンシティブな話はあまりできていない感じです。まぁ、ネタもたいしてないのですが、でも、聞いてばっかりも「自分どうなんだろう…」とも思うので少しずつできるようにしていきたいでござる。

 

昨日の午前中は格安整体へ。施術師さんが女性であるという事実に若干テンションダウンしたものの、疲れはとれたと思います(今日すでに疲れを蓄えてしまった感じもしますが…)。

 

午後は人と会ってきました。数度目の方。お昼を食べてからスタジオを借りて小一時間という変な遊び、そのあと御苑へ移動してみたものの人が多すぎて入るのはやめて、結局そこらへんをぶらぶらしておりました。

すごーく行き当たりばったりのプラン(とすら呼べないような気がしなくもない…)に無理やりつき合わせてしまっているような気がして、「あぁ、私、人間としてこれよいのだろうか(一昨日に引き続き2度目)」と思ってしまいました。

しかも、予定を詰め込みまくる悪い癖を毎度毎度発動させてしてしまい、中途半端な時間で解散になってしまったし…

そんなんなのに、文句も言わずに付き合ってくれて、感謝しておりますが、自分の姿勢に対して、これでいいのかなぁ。とは…思い続けております。

帰りがけに「疲れちゃうからいろいろほどほどにしなよ、って言ってもやると思うけど…」とも言わせてしまうという…

「どうしたらよいのでしょうか」と悩む30後半。不惑はもうすぐ…

 

夕方は楽団のパート飲み会でした。パート移動しちゃうメンバーもいるし、新人さんもたくさん入ったし、「年始にパート会やりたいです!」って声も聞いていたし、リーダーになったもののあまり役に立ってないなぁなんて、いろいろな要因をトータルして、幹事を引き受けましたー。

なんて、偉そうに言っておりますが「お店を勘違いして予約(本店と支店を間違えて予約した。100mくらいしか離れてなかったので結果、セーフ…だったのか。。な???)」「ちょっと遅刻した(勘違いしたお店に最初に行ってしまった)」「金額の提示を税抜でしてしまい、みなさんから予定より多くだしていただいちゃいました」と、ズブズブでした(汗)

でも、14名も集まってくれて、みんな楽しそうにしていたし、セーフということで…うれしい限り。ゆるゆるでも「まぁいいんじゃない?」な雰囲気が自分に合っていて、「あぁ、僕はこのパートでよかったなぁ」なんて思いますた。

 

解散後は、若手くんがゲイバーを予約してくれまして、2次会にも行っちゃった!

そっちはそっちで楽しかったけど、席が1列だったので、ちょっと交流しずらかったなぁ。ちょっと残念。

男っつーのは、セクシャリティとわず同じなんやなと思いますた。っつのも、もー、若者をはべらせて楽しそうにしているメンバーがおったのである。なんとうらやましい。

あだすも、若者と戯れたかった人生だった。(実際は、はずかしくて多分できないと思うけど)。あ、でも先輩と握手しちゃった。(つうか、させてしまった感じ。ごめんちゃい…)

 

さて、私はこれからどういう立ち位置で行けばよいのだろうか。なんて、楽しい2日間を終えた昨日の帰路に考えてしまいました。

 

最近、練習でピアノを弾くことがあるんですけれども「真面目だけどシステマティックでないピアノ」と評されました(いい意味でいってくれてるんだなとはわかったんだけれども、どんな意味だろうか?とつぶやいたら「大いに歌い上げるピアノって意味では?」と言ってくれた方もいました)。

そう、後半はいいんです。問題は前半です。よく「真面目」って言われるんですよね。

これでいいのかなと。

 

実際は「とにかく雑」「60点でいいんだよと思う」「詰めが甘い」「整理整頓、掃除嫌い」なタイプで、本当に真面目な人からしたら、私は当てはまらないと思うんだけれども、客観的に見る努力をして推察するに「やらなければやらないことは嫌々でも一応やる」「断るのが下手くそ」「いい顔しい」ってところがそう見えるのかなぁ…と。

 

真面目属性(とはいっても過去にはそうとは言えないこともしているわけですが…)が色恋関係にも影響を及ぼしているような気がしておりまして、別に悪いことだけでないのは重々承知しているんだけれども、なーんにも起きない原因の一つな気がしておるんです。

 

ピアノにしても、演奏にエロスが湧き出る方もいるんでございます(対照的にめっちゃカチッ、カチッと弾く方もいらっしゃいます)。それが、羨ましい。

奔放に生きたい欲求がないわけではないし、三大欲求は多分強いと思われるのだけど、なぜか抑えちゃうんですよね。抑えちゃうのは自制があるともいえるわけで、悪いばかりでもないのだけど、バランスが悪いような。

そんでもって、もっと自信持ちたい。「自信持てるよ」って言ってくれる人もいるのに、なんで持てないのだろうか。一本立ちしてないからかなぁ。

 

楽団のカポーが同棲を始めるらしいという話を聞いて、よろこばしいとともに羨ましす。

はー、彼氏になってくれる人は現れるのでしょうか。

練習は楽しくて怖い

一週おきの練習後、バスのなかでちょっと酔っぱらって書いているのでザツザツごめんちゃい。
今週は楽しいイベントが三件もあるので週末まで希望をもって過ごしたいと思います。(光栄なことに副業も依頼が舞い込んできたので、頑張るぞい ff5ガラフ風)

さて、今日は二軒都内で用事!
ひとつ目はちょっと人と会ってきました。若くて真面目な方。私は役に立ったのでしょうか?少しでも立てていれば幸いです。
ほんと気が利かないのでお土産をいただいたのに、手ぶらというのがもう何回目だろうか(遠い目)素敵な大人にはなかなかなれそうにありません。


二つ目は一週空いての所属合唱団練習でした。
やっぱ、楽しいおす。ノンケの付き合いも大事にしたいとかゲイの世界に入った最初の頃は思っていましたが、段々優先順位変わってきちゃった感じ。別にそっちもそこそこ働いてはいるけど、もう面倒くさいなぁという気持ちも抱きつつあるかも。まだ、やめないけど。
で、今年は光栄なことに練習の伴奏者もつとめさせてもらっております。
もうね。人前で演奏する経験はそこそこ積んできてそんなに緊張しないだろなんて甘かったわ。
だって、コンサートで演奏するより緊張すんだもん。逃げ出したくなるときすらある。んだけれども、でも、やらせてもらえるのが嬉しくもあり、なんか不思議な感覚。
なんつーの?ノンケの世界でいくら伴奏できても自分に価値のあるモテには繋がらないけど、こっちなら、可能性はなくはないというのが、緊張の原因でもあり、楽しい理由でもあるというか…この機会にレベルアップしたらもうけものだお。
って、感じです。

でもって、4月に人前でもやるかもでござる。
酔っぱらっていてリンクの貼り方がわからないので、今は文章だけですが、たしか4/14?日曜日。にアジア国際lgbt合唱祭ハンドinハンドなるものが日本開催なのです。
それに我が団もホストの一角として出ますです。

後日リンクを貼る予定
www.hih2019tokyo.org
貼りました。


一般の方も入場できますがlgbt系のイベントとしてはけっこう大きいものではないかと思われます。
ご興味ある方は是非ご来場ください。
中国、韓国、台湾、オーストラリアは少なくとも来るんだったはず。

では、今日はこの辺でばいちゃ。

ノーという平手でペチペチしたい

一週間に一回くらいは更新してみようの日ということで、こんばんは。

500缶を空けて帰っているのですが、今日は足りなかったみたい。

自分、割と「ノー」と言える方の日本人だと思っていたのに、実際は案外言えないんだなってことにいま気づいた。おせぇ。
だいたいそういう状況って、僕がノーと言っても構わないはずなの、本質的には。ノーと言って困る人がいるとしても、それを解決すべき人もいるわけで、そいつが頑張ればいいじゃんって話なのは、客観視するとよくわかる。
まぁ、でも思うのとそれを表明するのはハードルの高さが違うねんな。

それプラス、根本には自信のなさが影響してる気がする。
自信があったら、相手がどんな反応しても、どんと来いな気がするんよね。自信…全然ないわけでもなくて、自分、わりといい人間で積極的に嫌われる方ではないと思っている。その点は一個良い面なのかな?とは思うのだけれども、自信と言えるものがそんなもんしかないんだよね。
で、これって自分の行動に依存する自信な訳で、ってことは、この自信を保つには行動を律しないといかんわけで、足枷をかけてるようなものでもある。ってなると、八方塞がりなんだな。

他に、自信がありますって言えるものがあったら、上手に逃げられると思う。
逃げると言う言葉がよくないとしたら、取捨を曇りのない目でみられるというかなんというか。

でも、もってないねん。自分の力で生きて行けてないと思っている。

とまぁ、わりと追い込む環境を自ら作ってしまっているように思っていて、それで大変なのもあるのだけれども、それに輪をかけるように、失われた青春を取り戻すかのような活動をもしてるわけで、そんなんキャパオーバーになって疲れるに決まってるのは重々承知してるけど、でも、この活動は捨てたくない。一番大事にしたい。

そんなこんなで、いまちょっと大変かもしれない。倒れないようになんとか、最低限の休みは取れるようにと画策しております。
そして、いい人ぶるの辞めたいわぁ。本質的には、自分のことをとても自己中な人間だと思っている。やりたいこと以外には熱意を注げない。
ただし、自分が苦でないことで人を助けられるなら喜んでします。という程度には良い人間だと思う。本来これくらいのレベルが健全な気さえしますけどね。

はー、なかなか思ったようには出来ない。
もうすこし、迷う日々は続きそうです。

都会へはやく飛び出そうぜよ。

メビウスの輪

ちょっと、間が空いてしまいました。

歌の練習があった日曜日のこの時間は情緒不安定です。かといって、ない日曜日は寂しいんだけど。

まぁ、そんな感情を抱くくらいには元気だと言うことでしょうか?

なんか、今日はまとまらず、徒然に暗いです(´д`|||)

読み返したら我ながら引いた(苦笑)。

ちょっとまぁ、あの、読むなら心を置いて俯瞰して読んでくださいませ。

もしも、今の生活をずっと続けるとしたら?って、時々考えてしまいます。なんといっても、臆病で思いきりが悪いので、自信が持てるまで動けない。
実際はそんなことしている間に、どんどん動きづらくなっているかもしれない、動かないことで生じるリスクのほうが大きいかもしれないのに。

こっちの世界に飛び込んで、肯定的に関わろうとしてから一年くらいたったんだけれども、素晴らしい出会いがたくさんありました。
どんな好きなのかは自分でもよくわかってないけど、好きな人がたくさんいます。
でも、この人たちとどういう関係を築いていくのがいいのだろうか?

それなりに若く元気でいられる期間がどれくらいあるのか、働ける期間がどれくらいあるのかわからないけど、それができなくなったときが怖いなと思うときがある。
それまでに、また、そうなったときに助け合える人ができるのだろうか?
そして、実際に助け合えるのだろうか?とか、いろいろ考えてしまう時がある。考えてもなにか答えが出る訳じゃないんだけど。

もっと群れで助け合える関係を築ける動物が良かったのかなぁとか、思ったり思わなかったり。

どういう生き方というか、生活が合っているのかな?


一時期具合が悪くもうダメかもと思った天使ちゃんはそんなことなかったかのように元気に過ごしている、大分痩せては来たけれどもまだまだ、元気。

彼女は衣食住完璧に、しかも、言ってしまえばVIP待遇で日々を過ごしているわけなんだけれども、そんな野性味を一切失った状態でもボケずに優雅に生きているように見える。
彼女からしたら環境を整えてもらっているなんてこと、更に言ってしまえば、ある意味で生かされているということなんて、気づいていないのだろうなぁ。
その状態で生きてるってなんだか幸せな気がしちゃう。

気づかないほうがいいことに気づかず、問うでも意味のないことに疑問を抱かず、ただ生活ができるのって、幸せな気がするの。

そう見える人はいるけど、実際にそういう人はいるのかな?
みんな、なにかを悩んでいるのかも?

でも、そうだったとしても、みんなそうなんだって慰めになるくらいにしか役に立たないね。
結局、自分がどう感じるかだもんね。

したいようには行かないにしても、近づけるようにはなりたい。
なりたい姿がわからないけど、動き出したらなにか見えてくるのかなぁ?


あらゆることに答えを出すのが怖いナウ。

あしたから、また仕事がんばろ。