とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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それでもゲイでよかった(かも…?)

待遇が変わって2週間目、先週はきつかったけれども今週は慣れてきた。労働時間が長くなっても慣れるものなのね(慣れたくはない…)

 

withnews.jp

 

 

この件に関して自分のスタンスは定まっておりません。というか、こちらに足を踏み出してからの日が浅すぎて考えが足りてないように思う。

いずれ考えが変わる可能性も大いにあるし、言及していいものか迷ってもいるけれども、今思ったことを書いてみようかと思います。

 

 

理解されることについて

「理解促進を」とは多分思っていない、かといって理解促進派を否定もしていないと思う。

 

理解か。うーん理解… ん?理解?

理解って具体的に何を?

セクマイのどういう部分を理解してほしいと思っているのかな?

と思いました。

 

現時点で僕が思っていること…デリカシーやマナーの類については持ってほしいかな。

 

この記事で言えば、セクハラみたいなもの。

他には、結婚しない人に対して「なんで?」って聞かないとか、子供がいないカップルに対して「作らないの?」って聞かないとか…少なくとも話したくなさそうだったらしつこく聞かない…とかそんなレベルについて。

 

でも、それ以上はできるものなのかな?

私、同じセクマイのタチの人の感覚すらわからんのよ。直接的な例であれですが、自分には入れたい願望がわからない…

 

そもそも、他人の事はわからないのが普通じゃないかな…なんて思います。言ってしまえば、自分の事もわからんし…

 

そういう話ではないか…

 

 

ストレートの人には同性を好きになる感覚がわからんと思うのですよね。逆に私には異性を好きになる感覚がわからんもん(といっておきながら初恋は多分女性…これについてはいずれ書くかも。でも、性的に惹かれたことは多分一度もない)

おそらく、心情的に理解はされないものでしょう。しかし、相手の立場を想像して配慮することはできるんではなかろうか。

LGBTを特別に」ということではなくて、「他の事と同程度に」で充分なんではなかろうか。一般的な気遣いみたいなもの。

そういうことであれば、「理解を」というのはよくわかる。

 

ただし「現状、理解が足りているのか?」と言えば違うのかもしれない。オープンにしている人においては、今まさに露骨に嫌だという表明を受けている方も大勢いるでしょう。

理解があればあるだけ、暮らしやすくなる可能性は確かに上がるのかもしれない。そういう意味においては理解推進派の活動は有用性を秘めていると思う。

理解を…とまで行かなくとも、当事者を身近に感じられるようになれば、相手のことを想像して配慮しやすくなるでしょう。もちろんやり方を間違ってはいけないが…

未来のLGBTが暮らしやすくなる…という点について考えたら、活動は必要なことなのかも…。

 

ただ、同時に神原さんが触れているような、ゲイの世界の負の側面については、重々反省が必要だろうとも思う。

勝手に引用申し訳ないっす…

 

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ちょっと脱線

 

思うことのあるエピソードを2点とりあげてみます。

 

記事にもあった「俺の事好きになるなよ」という発言について。以前に聞いた事があります。基本クローゼットを通してきたため、自分が言われたのではなく、別のゲイに対して言っていたのを聞いたという形。

当時、たまたま所属していた集団にオープンリーゲイがおりまして、その人について話が出たときのこと。

「ゲイであることはなんとも思わないけど、俺の事好きになるなよ」

と言っている人がいた。ただし、本人に向けてでも聴こえるように言ったわけでもなく、ただの内輪の会話の一部として。

おそらく、当時この発言をした人は、比較的受容度の高い人だったように思う。

この発言を聞いて、「いや、なんねーだろ…」とも思ったし、「ふーん、(ノンケさんは)そういう風に思うかもね」とも思った。

 

もう一点、記事中の泊りの時の一節について。こちらについては自分は矛盾を抱えている。

言われたら確かにショックなのかもれないけれども、「あー、ノンケさんはそう感じるかもね…」と思った。むしろ、カミングアウトをしちゃったら、そういう事を考えて泊まらないかも…

でも、カミングアウトをしていない今、実はこれまで何度かノンケさんの家に泊っているんだな…カミングアウトの有無はあるにせよ自分がゲイであることには変わりない。

 

矛盾しているような。。。

 

こういうこともあってか、考えがまとまらない。

眠くて考えられない(という言い訳)もある。夜は基本阿呆なの…

 

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絶望について

こちらについては、自分の考えはより明確になっている…と思う。

「普通」に生まれたかった…とは、僕は思っていない。過去、もっと繊細な時期はそう思ったこともあったかもしれないけれども、少なくとも今は。

おそらく、むしろゲイでよかったと思っている。

 

男性を格好いいと思うことが嫌ではない。男性を格好いいと思うし、好きでよかったと思っている。魅力を感じるものを好きになるのは自然だ。それを恥とも思っていない。

 

過去に「女にうまれていればなぁ」と思ったことは、多分あった。でも、生まれ変われるわけでもないし、生まれ変わったら面倒くさいこともありそうだし…何より自分の性自認は男だし。

 

確かに、セクマイは1つ余計な心配ごとを背負わされているとは思う。苦労…というか疲れることや悩むことがあるのは確かだと思う。けれども、ノンケのみなさんが幸せ一杯に生きているかと言えば、そうでもないしね。

 

僕は男ではあるけれども、男を愛したいし男に愛されたい。

 

 

もう一点、僕は同性婚賛成派。できるならできるでいいんじゃないかなと思っています。

異性でも同性でも、結婚は結婚じゃね?と。

 

要は「結婚というものをどうとらえるか」ということなんだけど、ケジメや、気持ちの表明のために「結婚」という制度を使うっていうのは、ありなんじゃないかなと。

おまけに、将来的に異性の結婚と近い制度になるのであれば保障もついてくるわけだし…

究極の話だけれども、パートナーを看取る機会があるのであれば、看取ることは許されたい。

 

別の方法でもいいじゃん…と言われればそれもそうなんだけれども、その一つの手段としてはありじゃないかな?

 

 

 

 

 

最後に。

 

自分の意見を表明して世に発信していくことと、それによって様々なレスポンスがあることはとても価値あることだと思っております。

 

そして、作品でもそうだけれども、何かを発表することは勇気がいることだと思っています。