とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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いつか来たる日は…?

非日常が終わりました。ちょっと体調を崩しているようにも思うので、調整しなくては。胃を休めて、睡眠をとって… 日常がもう少しストレスフリーになれば言うことないのですが。生活していかねばならないので仕方ない。

 

いろいろな意味で「力」を持っている人にありがちだと思いますが、半ば公然と愛人を抱えていたりする既婚男性っていますよね。そういう夫を持つ妻というのはどういう気持ちでいるのだろう。鈍感な女性なんてそうそういないので愛人の存在は多分わかっているはず。

仮にそういう人に出会ったとしても、そんなこと聞けるわけもなく、想像がつかない。

案外、あっけらかんと趣味やらお友達づきあいやらを楽しんでいたりするのかな?鈍感力と言うのでしょうか、気づいていても気にしない力というのは幸せになるコツの一つなのかもしれないなとは思います。

 

幸せもいろんな形があろうと思いますけれども。

 

こちらの世界と積極的にかかわるようになって、2か月ほど経ちました。いろんな話を聞きました。人との付き合い方は本当にいろいろあるのだな…

そんな話を聞きつつも、誠実な友人を手に入れることができて、自分は自分を保てているかなと思っております。

 

今まで叶ったことはありませんが、一人のパートナーと深く付き合いたいという願望を持っております。

 

多分、自分は三大欲求が強いタイプ。それに加え、そんなに確固たる自分というものを持っていると思っていないので、ゆらゆらゆらゆらしてしまいそうになることは多いです。ただ、こうありたいという像があるがゆえ、そんな簡単に現実のものにしてしまうことありませんし、それを強くさせてくれる存在が、律してくれ、そういう関係を現に築いている友人達であると思っております。

 

以前、失恋するちょっと前に、仮にパートナーが別の人としていたらどうするだろうか?と強く考える機会がありまして、その時に出たこたえは「許す」か「別れる」かいずれかでした。

「自分も遊ぶ」という選択肢は考えたけどできないと思いました。前も書いた気がするけれども、相手の事をとても好きになってしまったのならば、そういう手段を選んだ自分が許せなくなるだろうと思いました。

 

相手もそういう人がいいな。

 

人を信頼して生きていきたい。

 

騙された…と思ったとしても、自分が選択を誤ったんだな、繰り返さないようにしなきゃ…と思いたい。

 

信頼して生きられたほうが楽だと思うので…疑うって行為は疲れる…大きな感情も疲れさせるものだし、それが負の方向の物だとしたらなおさら。

 

なんていいつつも、理想に浮かされた状態での話なので、実際そういう状況になったとしてどうなるかは全く持って不明ですし「絶対しない」なんて断言はできません。

でも、数年間ご無沙汰でもまぁ普通に過ごしているくらいなので大丈夫じゃないかな。

 

しかも「恋人めっちゃ欲しい!」期が過ぎて、「ゆるゆる行こう」と思っちゃっている今。

 

まぁ、しばらくなくてもいいかなぁ。。。

 

以前のように、恋人なんて絶対できないとも思ってないしね。

恋人ができちゃったら、まぁ…いろいろしそうですけれども。

 

自分と大事にしたい人達が幸せならばそれでいいと思っている。