とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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ありたい姿

慢性疲労、非日常イベントの疲労、ただいま地域行事的なものから帰ってきたばかりで不機嫌、加えて昨日寝付きが非常に悪かったので若干グロッキー。
やっぱ、昼間に居眠りしちゃいかんのか知らん?若いときはいくらでも寝られたけれども、年食ってきたってことかなぁ。


対立する意見や事象というのは戦わせないといけないものなのかな?と思うことがある。
放置しておいたら利害関係に発展するというのであれば、別だろうけれども、そうでないならば、不干渉でいいんじゃなかろうか?

同様にして、メジャーであるとか常識であるとか普通であるということはそんなに大事なことなのかな?

自分「普通でありたい」囚われは少なからずあって、割と意識してしまっている方だと思っているけれども、誤解を恐れずに言えば、マイノリティという時点で普通ではない訳で、そのこともまた受け止めざるを得ないことも認識していると思う。

また、「普通」や「常識」の定義もなかなか難しいと思う。
一人の人間を隅から隅まで見たら、いわゆる普通から逸脱した部分と言うのは案外あるんではなかろうか?なんて思ったりする。

ウチの家族は「こういうやつは常識がない」とか「常識で考えたらこうでしょ?」ってよく言うんだけど、それ本当?と思ったりする。仮に常識としてはそうだったとしても、その人の背景から推測できることで、まぁ、それもありだよねと思えることならば、あまり目くじら立てなさんなくらい思ったりする。けれども、そういうことを言うと反論されていると思うらしく、喧嘩になることもしばしば。面倒くさいので最近は話半分に聞いて、言わないということを学習した。

常識って便利な言葉ではあるけれども、使っている人の主観が多分に交じる可能性の高い言葉でもあるわけで、注意が必要な言葉なのかなと思う。
他人の言う「常識」なんて面倒くさいもんである。

それよりは、たとえメジャー路線から外れようとも、自分がこうありたいという像、姿、理念を大事に生きていったほうが良くない?

共感してもらえる喜びや肯定感はもちろん大きいけれども、みんなからされなくてもいいかもよ。
と、承認欲求の強い自分に対して言ってみる。

はぁ、こうなんというか、毎度毎度ずるい文章になってしまうなー。

眠たいからという、的外れな言い訳をしてみる。