最小限のもつ格好よさ
はー日曜が終わります。
バスに揺られながら憂鬱な週末というか週始めというか。
たまの歌の練習は感動ポイントがあってよい。
男声のハモりながらのcrescendoはぞくぞくする。決してオトコオトコしてない人(わたし?)が混じっていても、迫力が出ますぞよ。
今日は練習後の飲みに参加してみました。経験の長く造詣の深い団員さんのお話は興味深い。
私、残念ながら詩をただ読んでも体に入ってこないタイプの人間。
極限まで情報を削減した文字の羅列は自分にとっては最小限の状況を説明する文以上の役割を果たさない。
そんな私であっても、造詣の深い団員さんの補足があったり、和声というサポート、音楽と共に咀嚼することによって、イメージが10倍も100倍も豊かになる。
ほんと、よっぽど感情移入をして高まりすぎない限りは自力ではできないのが悲しいけど…
研ぎ澄まされ、極度に洗練、選択された言葉の持つ懐の深さというのはすさまじいものがある。
各々異なった心を投影する余地があるというかなんというか。
音楽もそういう要素があって、内容がスカスカなのとシンプルなのは違うのである。
具体的に説明すると陳腐というか、解釈者の力量が出るというか…なのかもだけど、シンプルだけれども引き出しの多い音楽と言うのはあって、そういうものは聞くたびに新しい発見があったりする。
情報過多のものを解釈する快感も万能感が得られいいのだけれども、シンプルなものに真摯に触れて得られる新しい側面からの刺激もまた抗えない中毒性がある。性質の異なった万能感というか…おー、こんなメッセージに気づける自分すげーというか…
最終的にそういうものを作り出して、へへへへへへと見たい自分がいたりする。
そういうもの格好いい。