とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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矛盾を楽しむ

1年の大きな仕事が一つ終わりました。

予想できたことなんだけれども、ちょっとしたアクシデントがあり、それによって思いのほか焦って引きずって…が心残り。それまでよかったのにな…

っつっても、トータルではよかったと思います。

 

心残りがあるといえば…合唱の合宿に行けなかったのも心残り。。。だって、仕事だったんですもの。嗚呼…

 

そのあと、久しぶりにしこたま飲んでしまいまして、飲み会後半~帰宅までの記憶があいまい。断片的に覚えている感じ…

 

交通手段…は多分これを使った。。。というのはあるんだけれども、確信が持てない程度にダメになっていました。

今年はこういうこと少なかった気がしたんだけれども、解放感からかなぁ。

 

そんな状態だったからなのかなんなのか、失恋してこっちに踏み出すきっかけとなった若者にLineしていた。しつこくなりつつある、初期段階で止めていたようなので(なんせ記憶があいまいなもんで、断言できない…)セーフ。。。ということにする。

 

しかしまぁ、振り返ってみると、自分にとっては大きな恋だったんだなと改めて…流石にもう、センチメンタルになることはないけれども、最近ちょいちょい思い出します。自分がかわいくなくともせめて女だったら違ったのかな…と思ったりもする。

 

でも、まぁ、あいつは面食いだからないな…多分、ノンケの男同士と思っていたから仲良くなれたんだろうなと思う。

 

うーん、こんなに執着(なのかな?)したことなかったかもしれん。

 

 

そんなときにHYの366日を聴くという愚行をしてしまう。ついつい。

なんとなく中毒性があるのねん。

歌詞はまぁ…いうまでもなくセンチメンタルなんだけれども、旋律も切なくて好みなのねん。というごまかしをしてみる。いや、ごまかしではなくて、本当に旋律がすきなんだけどね。

で、366でネットサーフィンしていたら、最愛の彼女と死別してしまったっぽい男性のコメントを読んで、切なくなってしまった。

 

 

切なくなったり、哀しくなったり、心を痛めたり…

こういう負(?)の感情に伴うと思われる行為にも関わらず、好んでやっているのだ。死を悼む、残された人の心情を想像して心を痛める、というようなものを積極的に求めてしまっている。

 

なんというのか…こう言葉にしてしまうと、浅ましいというか、不浄な行為というか、趣味の悪い行動のように見えてきてしまうのだけれども、発信側もそれによって心の整理を付けたりしているんだろうし、それには受け手も必要だよなぁ。とそれは気のせいということにしておく。

それに…仮に、浅ましいな…と思ったとしてもだからと言って止めるわけじゃないんだよね。

 

この行動で浄化される(ような気がする)。

 

とはいいつつ、リアルな悲劇は近くにそんなには転がってもいないし、あったとしてもそれをハイエナのように求めてしまうのは、いささか趣味が悪いというレベルを脱してしまっている気がするので、その点、創作物に行くというのはよいのかもしれない。

 

歌詞…っていままで全然注目してなかったな。 

今は、噛み締めてしまう。前述の「366日」も、マッキーの「もう恋なんてしない」も、高橋由美子(TAM TAM)の「友達でいいから」も。。。

 

前までは上っ面をなめていた感じなんだけど、今はもう少し中身を味わえるようになった。行間を読む(で使い方合ってるのだろうか)ではないけれども、心情を想像して切なくなるという楽しみ方。

 

悲しさを楽しむって矛盾しているようでなんかちょっと面白いね。

 

人生が少し豊かになったかもしれない。

 

いや、もっと豊かになりたいですよ…そういう気持ちはありますです。

切なさばっかりじゃなくて、満たされたいものです。はい。

 

ここ最近、こっちの方々に会ってない(泣)