とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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生存報告

Twitterのプロフィールを見ていたら、ふと昔書いていたブログのURLがあったので、踏んでみたついでに書いてみることにした。

 

何年ぶりだろうか。

 

読み返した記事は「あぁ、恥ずかし」といった内容。

 

数年分歳を食っているので当然か。

 

 

 

こんな4X歳ともなると数年なんて誤差って気もしている。

一年を後ろから振り返ってみると確かにあっという間。

 

毎年、ルーティンのように、同じことを繰り返す。

 

同じイベントをこなし、同じイベントを断り、時々新しい人との出会いがあり、そして会わなくなる人がいて…

 

自分も自分以外についても、この前までできていたことができなくなっていることを知ったり、体形が変わったり、体調が変わったり、小さくなったり、太ったり、衰えたり…

先のことを考えたり、後に残ったもののことを考えたり(一体どこで人生を終えるのかな?なんてことも考えたりもする)

人との関係を断ったり、人を評価したり、人の人生にかかわる決断を下したり、いいこともわるいことも

 

それ自体はなんら変哲のないもので、あたかも同じようなことを延々と繰り返しているようにも感じるんだけれども、状況は徐々に変わっていく。

 

同じように見えるそれは全部別で、うっすらとぼーっと生きているようで、でも毎日何かしら発生していて、なんらかの対処をしている。

 

それはなんとなく過ごしていてもぼんやりと自覚することではあるのだけれども、しかし、数年前の記録はそれをまざまざと突きつける鋭さを持っている。

初めから見通すと1年はやっぱり長くて、その積み重ねであるここ数年間は、そこそこ長い時間だったのだな、と、記録は教えてくれる。

 

恥であっても記録は貴重である。。。のかもしれない。

 

本人にとっては。

 

ついこの間、子供のころにいただいた手紙とさよならしたわけだけれども、この記録もいつかきれいさっぱり消す時がくるのかな。

 

うーん、何か書きたいことがあったわけではないので、こんなとりとめもない記事になってしまいましたが、何を言いたかったかと言われれば「生きています」につきるのかな。

 

数年たって、酒量が増え弱くなり、だらしない体形になりました。

大変だなと思うこと、目の上のたんこぶと思うこともあるけども、それはこんな年にもなれば当たり前なのかもしれない。

自分には縁がないと思ったし、いやだと思っていたけど、気づいてみればこんな風になっているのは、不思議な気持ちではあるけども、少しは大人になれているのかなと思えるような大人に少しだけなれました。

 

そして、(ときにそれが大きな悩みとなることがあるとはいえ幸運にもあくまで)多少の面倒なことはあるものの、周りの環境に恵まれていて、毎日を楽しく過ごせています。

 

はい、一言でいえば元気に過ごしています。

 

(誰に向けてなのか???)

 

また、とーっても気まぐれに更新するかもしれません。

 

以上。

 

そして、これは完全に蛇足なんですが、個人的な推しのお話をば最後にちらっとね。ひひひ。

 

 

現在私は安芸高田市長の中丸伸二さんのファンになっています。

理路整然としていて知的な人を好むのかもしれません。

 

ふとYoutubeのおすすめに出てきたのを見てしまったのがきっかけです。

そんなこんなで、在住の区議さんとか地元の市議さんとかしらないのに、安芸高田市議さんは半分くらいわかるw

 

まじ、市長さんの作戦通りに事が運んでいるではありませんか。

 

ということで、絶賛推し。

 

まったく、安芸高田市に縁もゆかりもございませんが、今年ある市長選が今から気になっています。

 

こういう首長さんが各々の自治体で出てきて、いろいろ変わっていってほしいなと、思っております。

 

んでは、またいつの日か。