とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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どっちになっても

今日は半休なり。微妙な感じで仕事終わって帰ってきてしまったけど、まぁいいや。しゃーない。

 

限られたポストを争うという行為、とっても小さいことを含めれば、そこらじゅうにありふれている。

 

そのポストを争い獲得するということは、脱落する人がいるというわけである。

そんな状況においては、自分に有利になるように願ってしまうのは悪いことではない。むしろ、それを望むのであれば当然のことだろう。

 

でも、もっと若い時は、有利になるように願うことは悪いこと。。。のように思っていた記憶がある。非常にあいまいであるが。

自分が得て他人が得られないということに、申し訳ないと思ってしまっていた。全部が全部ではないんだけどね。うれしさを表明すると悪いからなるべくしないように…程度のこともあったように思う。

今思えば、それはそれでとてもおこがましいことであるようにも思うけれども、実際にそうだったのである。

その反動だろうか、得られなかった時は、怒りにも近い感情を持ってしまったこともあったように思う。

 

若かったのだ。

 

そう考えると、歳を重ねるというのも悪くないなと。まだ、若造ともいえる年齢かもしれませんが…どうなんでしょうね。

 

今は、どっちになってもそれは仕方のないことなのだ…と思えるようになってきた。

当然、得られない結果だった場合には落ち込むだろうけれども、仕方がなかったのだ…得られた場合も同様、別に相手を気にしすぎることはないのである。そういうものだから…

と結果に妥協、というよりは、折り合いをつけられるようになってきたと思う。

 

 

願いこそすれども、選択権が自分にないことはたくさんある。

 

 

審判は審判員がすべきである。

 

苦しい審判は悩んで悩んで悩んだ末に決断すべし。審判員の義務である。

 

自分も審判員になることもあるかもしれないけれども、そのときは十分悩んで、明確なジャッジを下そうではないか。