ドタキャンからの新しい出逢い
昨日のことです。
ドタキャンかまされましてん。アプリあるあるらしいですね。
しかも誘っておいてかよー。(そのあと、謝罪とまた機会作るからってメッセージも来ましたけど、あるのか…そして行くのか自分は???)
今日は外へ出るつもりになってしまったので、まっすぐ家に帰る気も起きず、どこかに寄ってみようかなと、思い直しまして、一人でゲイバーへ行ってしまいました。
あのゲイバーに一人ではいる独特の緊張感てなんなのかね。なかからは混雑してる音が聞こえてきて一度引き返してしまいましたよ。
でも、ここまで来て行かないのも…と思い直して入りました。(ほんと、仕事以外だとそこそこ行動力あるんよな…)
あ、思ったより広い…失敗だったかもとか思いつつ、着席。
緊張緊張。
でも、マスターはやっぱよくわかっていて、一見さんの客でも話しやすい位置に配置してくださいました。
それでも、最初はぎこちなかったんだけれども、お酒も入って徐々にお話しするように。
ふとしたときに、本当はいけないんだけれども、隣の方のスマホ画面が見えちゃいまして、IMSLPの文字を発見。
IMSLPとは、著作権保護期間の終わった譜面やクリエイティブコモンズの譜面が無料でダウンロードできるライブラリのことです。
おや!?このサイトを見るということは多分オケ経験者かな?と思い
「なにか楽器を演奏されてますか?」と尋ねたらビンゴ。
音楽系ゲイサークル所属の方でした。
まさか、こんなところで!?
共通点ができると話弾みますよね~。ということで、連絡先も交換してしまいました。
最初。ドタキャンにイラっともしていたんですが、結果オーライ。
こういう運はあるみたい。
穴埋めできた感isある。
そろそろ叶ってほしい
アプリに振り回されてます。
遠くの人と繋がっちゃって、しかも、気になる人だったりして、しかも、メッセージが一発終了しなかったりして。
でも、なかなか会えない。
近かったら、一、二週間の内に会ってる。取れる時間が短くても会いに行ってる。
という状況で、心乱れる仕事中(集中しろって話なんですけど、仕事中っていろいろ違うこと考えちゃうんですよね…)
膨らむは妄想ばかりなり。
その通りになる確率なぞ相当低いのに。
どうせなら、一刀両断スッパリいってくれたら、次に行くのになぁ。
って、自分こんなに恋愛に振り回されるタイプだったっけ?とビックリしている。
いや、多分前から振り回されるタイプだったんだと思う、しかも、草食だと思ってたのに、けっこうガッツリ行くと言う。
叶わぬものと思っていたから限界まで封じ込めていたんだな。
限界まで封じ込めてもノンケに二回告白する位だから、相当だったんだよな。
といまさら気づく30後半ゲイ男子。
見方によっちゃあ人生楽しんでる感あるけど、等の本人は感情の乱高下で大変です。パニック疲弊、ぐっちゃぐちゃっす。
はっはっは。
いつか、叶う恋がしたい。
寂しさの裏返し
アプリをインストールしてしまってからというもの、暇があれば見ちゃっているんですよね。
足跡つけたり、マッチング機能やりまくって、一喜一憂。
これ、メッセージのやり取りが続けば別なんだけれども、そうでないと、その場限りなんですよね。数日前にマッチした人のことなんて覚えていないのであります。
メッセージのやり取りにまで至った人については、もう少し覚えているんだけれども、いったいいつまで続くのか?不安…
途中で途切れちゃうパターンは、距離があるのが行けないのか、それとも、やり取りに問題があったのか、そもそもそこまで思いがなかったのか…小休止みたいなもので問題がないだけのものもあるの…か…?(メッセージのやり取り面倒くさいって人も少なからずいるよね)私は割と平気な方(もちろん、少なくても構わない)なんだけど、スマホから打つのは面倒くさいので、本当はPCのキーボードから打ちたい…
また、メッセージのやり取りがあっても、なんとなく違和感を持ちつつというケースもあり…(なんかいろんな人がいるねー)
うーん。
これ進展あるのでしょうか。
アプリだと、写真と簡単なプロフィールを見られるだけなので、パッと見て終わり。なんで、強いつながりなんてできるわけがなく、仕方ないよね…
現実で出会う人だって、つながりは最初からあるわけじゃなくてだんだん作っていくものだし…
これが、たとえば、サークルの仲間だったら、長い期間一緒に過ごすことで人となりもだんだんわかってくるし、しばらく在籍していれば、すでに関係がある程度出来上がった状態からスタートだから、ここでつまずくってことはないわけだよね。
ブロガーさんと会う場合だってそうで、ブログを拝読して、いろんな記事を読んで、「きっとこんな人なんだろうな?」というある種の内面に対する期待があって会うわけなので、やっぱり会うための熱量は大きいよね。
アプリはなぁ、よっぽどじゃないと会うまで至らない気がするのよ。距離のある場合は…(かなしいかな、近くにはあまりいないし、あまり近くで会うのもちょっと…)
そんなこんなで、不毛な気がするな…と思いつつ、でも、ついついやっちゃうのはさびしいからなんだなと自覚したつい最近。
アプリをインストールしたきっかけはHand in Hand、みんなでワイワイやった後の寂しさ…だったと思うし、こっちの世界に入って何だかんだ1年以上たったのに特に何もない(というか、つながらなかったというか…な)寂しさもあるし、つい最近友人の結婚の話が出て自分にはいないのか…という寂しさが出たのもあるし。
やっぱりね、家族になってくれる人が欲しいな…とふと思うのです。
今のところ全然いい方向には行ってないけれども、でも、諦めてもいないのです。
アプリで付き合い始めたって人結構多いし、長く続いているカップルもあるし、もしかしたらという可能性に賭けてもいます。
一縷の望みがあるようなないようなメッセージも混じっている。気がする。気のせいでないといいんだけれども。
あー、むずかしい。
アプリ経由で恋人ってできるものなのかな。。。???
アプリでの一目ぼれって成立するのかしらん???
成立してほしい。
蛇足1
これ良し悪しなんだけれども、遠い人ともつながっちゃうのね。
現実世界だけでは知りあえなかった人に知りあえるのはいい点。
知り合ってもなかなか会えないのが悪い点。
蛇足2
中国人て背高い人多くないすか?北方の人だけかな?180cm以上の人がスゲー多い印象です。韓国人も比較的大きい。台湾人も大きい。
また、体重も多い印象。日本人はGMPDもいれば、スリムな人もいる。
Hand in Hand 鑑賞会
昨日の事です。
1か月ほど前に開催されましたHand in Hand アジアLGBT合唱祭の映像鑑賞会 兼 打ち上げに参加してきました~。
自分たちのパフォーマンスを客観的に見るのって面白いですね。
1番目の演目は、オカマショー的な要素を持つ演目で、今後もことあるごとに取り上げられる気がする。
お一人、とってもきれいなお顔をしているのに、好奇心からドラグァメイクをし(てもらっ)た団員がおりまして、まぁ、すごいインパクトでした。
安藤美姫×3って感じのメイクに髭が残ってるの…端正なお顔の良さをすべて消し去るメイク。
そんな格好でキレキレのダンスを披露していた。ビデオなので遠目なのだけど、遠目から見ても明らかに異形なのがわかるの。
ご想像ください。
ちなみに、昨日知ったのですが、ドラグァメイクをしたのは、新入団員さんだとのこと…え、なんでそんなことできるの… すごい…
そんな格好のサービスパフォーマンスの後の日本の歌のガチ合唱。ドラグァメイクのまま、また、他の演者も女装のまま真面目に、比較的雄々しい曲を全力歌唱。
とてもシュールな光景でした…
最後は振り付きの英語の歌で締め。
3本セットでした。
一見、めちゃくちゃなんですが、この組み合わせ嫌いじゃないwww
私、英語の歌の伴奏をしたのですが、思ったよりはちゃんと弾けてたかな…と安心しました。間違えて2枚めくって、戻しているところはばっちり映っていたけれども、案外冷静にやっているように見えた。いつもこうだったらよいのに。
他にも、主だった団の映像を見ながら、飲み食い。
貸切。
いやぁ、楽しゅうございました。
団員とのふれあい大事...
(あくまで比べるとというレベルでですが)、我々、外でもストレート男性からすると大分いちゃいちゃしてるんですが、貸切だとちょっと程度が増すよね。(とはいっても、合宿よりは大人しいのだけど)
会話も、ゲイ特有の会話というか、ストレートだと出ない会話というか(あの人が格好いいだとかタイプだだとか)決して、卑猥なこととかしてないのだけれども、ストレートの人からするとギョッとするかも。店員さんとかどう思っていたのでしょうか。
女子同士はいちゃいちゃしてても、あまりギョッとは思われない気がするんだけど、ゲイはその点損だなぁ…とも思う。
かといって、面と向かってDisられたこともまだないし、罪になるわけでもないし、世代が下がるにつれ受容度も上がっているようだし、なんだかんだ、けっこういい国に生まれたのかもとも思うけど。
そこそこ、団員といちゃいちゃしてまいりました(爆)
全身〇感帯の人、という(不)名誉な認識が広まりつつあります。ただのくすぐったがりなのですが…
2次会では親へのカミングアウトについて、同世代の人の持論を聞いた。「理由を説明せずにただ結婚しないと伝えるより、ゲイだからしないという理由を伝えたほうが、長期的なショックは少ないのではないか」というもの。人によってどちらのダメージが大きいかは異なるのでしょう。断言はできないけれども、かといって否定もできないなと、わからなくはないな、うーん、納得と思いました。ただ、自分ができるかと問わるれば、簡単とは言えない。
親戚から言われたこともあるんだけれども、結婚云々の話「歳とったとき一人なのが心配だ」と言われたことがありまして、これは本心なんだと思うし、この点については嫌だなとは思いませんでした。ただ、「夫です」って連れてこれるか…と言われたらそれはまた別…そんなの想像もしてないだろうし。
うちの合唱団上と下で50歳近く歳が離れているので、活動方針について、世代間ギャップがあるようです。
団員募集についても多く議論されてきたようで、大きくかじ取りを変えたのは、2,3年前かららしい。
でも、その効果は大きかったようで、去年の入団者も多かったし、今年は今の時点で多分去年の入団者数を超えてしまったと思う。若い子と触れ合えて楽しい(爆)
ゲイサークル楽しいです。これなくなったら、どうなるんだろう、自分…
そういえば…
アプリをインストールしてしばらく経ちましたが、見てるのが面白くてついつい見ちゃうという…
なんらよくわからんのですが、きわどい画像禁止になったそうで、ギョッとするような画はなく、「いい体(爆)」とか「イケメン…」とかそんなレベルな感じ。
目の保養です。
なんか違う使い方をしてしまっているような…
なんとなく、画像の選び方で、その人の望んでいることが垣間見えますね。
遊びは望んでおりませんので、いい出会いがあればいいのですが、選択肢は多いけれども、当たる確率は低いのかも。
この先進展はあるのでしょうか???
ゲイ充 ウィーク
ひさびさの更新です。
みなさんGWはいかがお過ごしでしょうか?
こちらは元気にしてますよー。
さてさて、GW後半はかなーり、充実した濃厚な
日々を過ごしました。
まず、2日
恒例になりつつあるブロガーさんとの飲み会。翌日からの予定に合わせて急遽提案してみたら快諾していただき、実現。
私がバスにスーツケースを忘れるという失態を繰り広げ、遅れて到着。
言い出しっぺなのに…
普段では考えられないフットワークで、最短で荷物を受け取れたので、30分遅れで合流できましたが、もうちょっとしっかりしような?自分…
合唱の練習後によく行く中華屋さんとこれまた合唱後に行くゲイバーを梯子して、ゆるゆるまったりと過ごせました~。
そんなに間を空けずに開催だったのだけど、「その間にもいろいろ起きてるんですなぁ」とまさかの出来事を聞いたり、「次回は新たな展開が聞けそう」って、話をきいたりした。
わいも、話題を提供できるようになりたいわ。
しかし、飲み友達ができてうれしいでござる。
3日~5日
合唱団の合宿でした。
練習三昧のガチ合宿。
よくなったと思った咳がまた再発して、あまり戦力にはなれていないことが悔やまれますし、正直、長丁場の練習はしんどかったですけれども、本当に楽しかった。
終わっちゃって寂しいですもの。
今年、記憶はなくしてないけど、去年以上に弾けてしまいました。
もう、いろんな人に抱きつかれたし、抱きついてしまいました(爆)
お兄様方はもちろん、若い子とも触れあえて嬉しゅうございました。
なんとなく、嫌な思いさせたら嫌だなと思って、自分からはあまり行けないんだけど、むしろ絡んできてくれてありがたい限りでございました。
そして、もともとウソをつけないんだけれども、それにも増していろいろバレた(汗)
たくさんの人に愛していただきました(ウソ)
合宿所は外の目がないから、公共の場よりは積極的になります。
とはいっても、お戯れ、じゃれあいの延長なので、その点、誤解はなさらないでいただきたく。
ノンケの世界では、ほとんど経験なかったからわからなかったけど、ハグって癒されるんだなぁって思いますた。
普段は練習してそのまま解散って事も多いので、あまり交流したことのない人も多かったけど、今回で結構仲良くなれたかも。
普段は、ある意味で無味乾燥な世界にいるので、ほんと潤った。
もっと若いときからやってたらまた違ったんだろうなぁ?と思う。
結構無駄にしてしまった時間が長かったなと。
でも、今からでもある程度取り戻せるのかな?とも思った。閉じ籠っていたらこういう経験は得られなかったわけだから。
ちゃんとこっちの世界に入って良かったなと思いました。
残念ながら、いまだに恋人いない歴=年齢ではありますが、楽しくは過ごせています。
そろそろ、本気でほしいけどね…
で、ついにしれっとアプリをインストールしてしまいました。
アクションもないし、してないし、ただただ眺めてるだけが多いけど、もしかしたらきっかけになるかもだし…
もう活動をはじめてから一年たつけど何もないし、まぁ、いっかなと。
ただ、アプリ経由だと、ほんとに外見しか判断基準がないからか、視点が辛口になるのね。と思った。リアルの知り合いだと、内面でプラス補正がかかるんよね。(逆もあるけど)
やっぱ、実際に会わないとわからんよね。
でも、現実世界では、ただ眺めてるだけだと、性的指向はわからないから、「識別子的な価値はありそうだな」とは思った。
しばらく様子見。
LGBT批判は自分に跳ね返ってくるかもしれない
最近更新滞りがちなじじです。
この間の日曜は合唱練習後に飲み→ゲイバーはしごで、終バスで帰るという充実ぶりでした。翌日眠かったけれども。
ゲイ合唱団員と飲むの、楽しい。
趣味を共有している+セクシャリティが一緒なので、普段できない話もできて。解放感が半端ないです。口調とかだんだん染まってきたかもしれません(?)いや多分もとから…
今日は賛否両論あるかなと思われる記事です。
どう書こうか迷ったんですけれども、LGBTのお子様を持つ親御さんに向けてなのか?LGBT当事者に向けてなのか?自分に向けてなのか…
最初に断っておきたいことは、批判するために書いているのではなくて、こう解釈したほうが受け入れやすいんじゃないのかな?と思って書いています。
では…
「ゲイである原因を作ったのは誰なのか?」という問い、はっきり申し上げて価値のある問いではないし、下衆な問いであることは承知しておりますが、これにあえて答えようとするならば、冷たいようですが、「子供を作った本人たち、あるいはどちらか」と言えるでしょう。
僕は後天的に男性を好きになったわけでないことを知っているし、ごく一般的で良心的な両親はゲイになるような教育なんてしてないわけです。誰だってそんなことしようとしないよね。
同じような似た環境で育った、兄弟はストレートですし、教育が原因でゲイになったわけではないと思います。
かといって、別の環境要因、例えば、男性から性的ないたずらをされた経験なんてものもないし、どこかでそういう行為を目撃したり、そういうビデオを観たりなんてこともないわけです。
少なくとも私はネイティブゲイなんで…
ネイティブゲイ拝借しまっす。
となった場合は、遺伝的な要因か、遺伝ではないもののそれに近い機構(というものがあるそうです。遺伝子に組み込まれているわけではないとのこと)による要因なわけなんですよね。
ちなみに、同性愛者になる原因は解明されていないらしく、××がかかわっている可能性がある…という程度にとどまるそうです。
なので、ここでも個人的な経験を除いては断言できません。そのことを念頭にお読みいただければと思います。。。
私は生まれ育った環境要因に思い当たる節は全くないわけなのですが、「環境要因もある」という説もあるそうです、中にはそういうことを自覚されている方もいるのでしょうか?
でも、どちらにしろ、幼いころというのは育てる人の影響が強いわけなので(幼子は一人では生きていけません。すぐに死にます)、誰のせいか?と言われたら、「両親」である可能性は高いわけです。
で、ここまで書いてきて何が言いたいかと申し上げますと、「ゲイに生んだ親を恨んでいる」と言いたいわけでは決してなくて、「原因を作ったとしてもそれが本当に悪いことなのか?」と言いたいということです。
ゲイである子供は不幸なのでしょうか?
私個人の体験で言えば、ゲイであることでイヤな思いをすることはあれども、少なくとも、それで不幸だとは思っていません。むしろ、ここ1年そこそこで、素晴らしいたくさんの出会いがあって、今がこれまでの人生で一番幸せな時なのかもしれません。この先はもっとかもしれないし、わからないけどね。
子供がゲイであるということを知った時に、自分を責められずお前がゲイであるのが悪いと責める方もいらっしゃるようです。それはお互いにとって不幸なことだなと思います。
また、子供が責められずとも、自分がゲイであることで両親が悲しんだとか自分を責めたとしたら、それは子供にとっては自分が責められるのと同じくらい悲しいことであります。
なので、子供がゲイであっても、自分や当のお子さんを責めないで欲しいなと思います。
そして、責めるとしたら「ゲイであることが不幸である、悪いことである」という定義の方なのではないでしょうか。
「そんな定義ない」とおっしゃるかもしれませんが、それに近いことが定義されてないと、このような感情が湧きあがる理由が説明できませんよね。
少なくとも、このように考える人にとっては、一般的な認識として「ある」と言えるのではないでしょうか。
ちなみに、私はそんなことないと思っております。
別に犯罪を犯しているわけではありません。人に著しく迷惑をかけて生きているわけでもありません。男性同性愛者だからと言って、男性に性的に迷惑をかけてもいません。悪いことはしていません。
ゲイ=犯罪者ではありません。
ゲイの中に犯罪者はいるでしょうが、人間の中にも犯罪者はいますよね。かといって人間=犯罪者ではありませんよね。
それに存在自体が不都合であるとすれば、淘汰されていたり、発生率がもっと低いはずだと思います(でなければ、種として危う過ぎる)が、このデータが正しいと仮定した場合に、そうとは言い難い比率で存在していると言えるのではないでしょうか…
こんな比率で種の存続に問題がある存在がいたら、とっくに滅びているような気がするのですが…そんなことない?
親御さんとしては、孫の顔を見られないという不幸は確かにあるかもしれませんが、子供を作らない、作れない人はゲイに限りませんし、ゲイでも子供を作っている人もいます(女性と性交して作る人もいるし、代理母などの形で作る人もいる)。
社会通念のようなもので価値観を定められて生きている人は本当に多いと思いますが、その社会通念で悪とされているものは本当に悪いことなのでしょうか?
それは、単に自分を苦しめるだけのものなんじゃないの?と思います。
子供がゲイであるという事実は変えられません。
変えられないものを責めても現状は良くなりません。
一節によると、もともと日本は同性愛に寛容な文化だったようで、同性愛嫌悪はキリスト教文化が浸透した影響らしいというのを読んだことがあります。
皮肉なのは、キリスト教文化の方が先に「自分で変えることのできない属性で差別をしてはならない」という共有認識を確立したことでしょうか。
LGBTの人間が案外、周りに普通にいることが知られれば、カミングアウトしてショックを受けることも減るはずなんですよね。
カミングアウトをすると相手に負担を負わせる可能性があるから躊躇する、という人がいて、私も親にはできないんですけど、カミングアウトするのが悪いことと思われるのも悲しいなと思います。
アウティングの問題だって、ここの認識が変わればなくなるはずなのにね。
って、書きすぎて論点がぼやけてきたかなぁ。
LGBTであることが悪いと思うのは、全体不幸だと思います。
ストレートのみなさんも、いつLGBTの親になるかわかりませんよ。
私の親なんか想像もしてないでしょうね…
ちなみに、LGBTに限らない話でもあると思います。人種差別とか宗教差別とか障害者差別も一緒。批判すべき対象はどれなんでしょうか?
Hand in Handあらためて
ちょっと期間をおいて落ち着いてきたので、改めてHand in Handの感想を書いてみようかなと。
この前は走り書きみたいでしたので…
といいつつ、今回もまとまるかは不明。
この日曜日にあったばかりのイベントでした。
シンガポールから1つ、台湾から2つ、韓国から2つ、香港から2つ、中国から3つ、アメリカサンフランシスコから1つ、オーストラリアシドニーから1つ、このイベント向けに作られた団体1つ、日本から3つ、出演者だけで総勢500名という大規模なイベントでした。
金曜日の夜からパーティーがあったりと人によっては、がっつり3日間交流できたイベントだったのではないでしょうか?
私は、絶賛体調不良中でマスクマンだったこともあってか、ほぼ誰とも話さず(ただたんに需要がなかっただけの可能性もあるけど、哀しいので考えない)、あぁ、何しに来たんだろう…的な気持ちもありました。この際国際結婚でも!なんて半分本気で思っていたので!あぁ、北京の背の高いイケメンさんに話しかければよかった…
こんな機会においても、及び腰な私。「パーティーで知り合った人とキスしちゃった!」なんて人もいるなか、あぁあダメダメ。
とまぁ、反省もあるわけですが、でもこのイベントに参加できて本当によかったなと思いました。
結構な団体さんが日本の歌を歌ってくれたんですよね。アニメソングを歌ってくれた団体さんもあれば、歌謡曲を歌ってくれた団体さんもあり、ガチ合唱曲を歌ってくれた団体さんもありました。新曲を練習するって、なかなか大変だったと思うのですが、開催国に寄り添ってくれたのが嬉しい。
他にも、暗譜で歌って、ガチ振り付けの「Theゲイのショー」ってテイストの団もあったりして、それはそれでとても面白かったです。なんというのか、ストレート男にはない(というか多分できない)仕草で、もしかしたら女性のような、いや、もしかしたらよりセクシーかも、なんていう振り付けとかしなやかさとか見られて、面白いなと思いました。
当団も、サービス精神旺盛に、スクールメイツダンス付の歌あり、ガチアカペラ合唱あり、振り付け込みの洋楽のメドレーありと、バラエティに富んだラインナップでございました。
好評を頂けたようで安心。
私、洋楽の伴奏をしたのですが、録音を聞いてみると、期待して聞いた1度目は「orz...」って感じで、改めて聞くと「あっ、そんな悪くないじゃん」って感じでした。
ということで、60点くらいでしょうか。
団長から「ピアニスト世界デビューだね!」なんて言われて、でも現実的に「そうかも!」なんて妙に納得してしまいました。
終わってから事の重大さに気づくという。
最後に全体合唱があったのですが、東京のイベントのために作られた「A Freedom Song」も素敵だった(最初暗い曲だななんて思っていたんだけれども、短調→長調の救一筋の救いの光的なつくりが心地よかった)し、Hand in Handのイベントのために作られた「Hand in Hand」も素敵だったし、あわよくば、万全の状態で歌声の一部を担いたかったけど、あの場に居られたこと自体が幸せだったんだなと。今になって思っています。
わが団の団長(のみならず偉い方々)は、団運営自体で大変ななか、さらに大変な思いをしてこのイベントの運営に携わっておりました。
団長はもともと感動しい屋で、涙もろい人ではありますが、この全体合唱が始まった時に大号泣してしまっていた。
なんかでもいい人だなと改めて思いました。
全体合唱は舞台上に外国から参加の400人、舞台の下に日本勢100人がいたのですが、後ろから400人の声、周りから100人の日本の仲間の声が聞こえてきたら、一瞬でスイッチが入ってしまったようです。
後日改めて、個別に役割を担ってくれた団員、参加してくれた団員、見学に来てくれた団員、イベント期間中に迷惑をかけただろうに文句も言わずに付き合ってくれた団員、とまぁ、もれなく全団員へ、自分の言葉で感謝のメールをくれた。
それを見て、「あぁ、僕はこういう団長と一緒の団に居られることができて幸せだな」なんて思いました。
所属団愛が強まるイベントでした。
幸せだったなぁ。
この幸せ、この時で終わりにせずに続けていきたい。
団長も言っていたことだけれども、私にもこういう仲間が必要。
最後に…
ご本人のブログですでにご記載くださってますが、このイベントのために語学スタッフをお願いしたところ、快諾してくださったchuckさんにほんまお礼を言いたいと思います。
ほんと、ありがとー!
落ち着いたら、また飲みに行きましょうねw
あだすも、英語とか中国語とか勉強したほうがよいなぁ。
英語はめっちゃ片言、中国語は第二外国語で取っていたけど…「我是日本人(私は日本人です)」しか覚えてない…