とある男の断章

30代ゲイの思うこと

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辞められないこと

土曜の夜は大好きだけど、日曜日の夜は大嫌い。しかも今日は空が暗い。

 

 

僕は怠惰な人間です。

 

部屋は片づけられないし、掃除はたまーの休みにしかしない、自炊もしたりしなかったりで半額惣菜を買いあさるときもある。基本出不精だし、身を粉にして働くなんてとんでもなくて、できれば週4-5日くらい休みたいくらいである。(かといって、全く働かないのは多分病む)

 

そんな自分でも、10年以上チャレンジし続けていることがあります。それは個人的に大事にしていることに関するもの。

 

大抵は最初か次でこけている。あと一歩のところで玉砕したことが何度かありはするものの、最終的な結果が出ないのは、自分の実力故なんでしょう。

もちろん、運もあるんだろうけれども、運も実力のうち…なんだろうしね。

実力者は運も引き寄せる…というか、流行に乗ったものでなくても内容が伴っているのでしょう、やっぱり選ばれることが多い。まれに、そうでないときもあるみたいだけれども…

 

最終的に選ばれることがあれば、自分にとっては自信になるだろうし、その他の点においても影響があるはずで、とても大きいことなんだろう。

しかし、選ばれないことが大事なことを続けるのを妨げるわけではない。自分なりに納得して前を見ていけばいいこと。

 

でも、第三者の評価を気にして影響されてしまうところが弱い。他人の評価なしにモチベーションを自分で保ち続けることに苦しくなるときがある。大事だと思っている割に、他人の物差しがその運命を左右しそうであるということが辛くもある。

 

辛いなら辞めちゃってもいいはずなのに、でも辞めるのも怖い。逆に、なぜそこまで辞めることを恐れているのだろうか。

 

辞めちゃったら自分が存在している意味がなくなってしまうような気がする。それはとてもむなしい。

 

実際にこれを辞めたところで存在意義がなくなるなんてことはないんだろう。秘密を抱えてはいるけれども親しくしてくれる人はいるし、頼りにしてくれる人もいる、自分のすることで喜んでくれて歓迎してくれる人もいる。自分なんかでも役に立っているんだと思えることもある。

 

でも、なんかこう、もっと自分という存在に意味を求めてしまう。

なんとなく自分だけができること。。。みたいな。そんな年齢は過ぎているはずなんだけどなぁ。

手段がないことはないのだろうけれども、子供を持てないということも多かれ少なかれ関係があるような気がしている。埋め合わせがほしいというか、なんというか…

 

本当は、生きていることにそんな自分を納得させるような大義名分なんて必要ないんだろう。何かで、生きていることに疑問を感じる動物は人間くらいらしいと読んだ覚えがある。

 

でも、なんらかの意味が欲しい。

 

多分、そんなことを求めた結果何とか続けている…のかなぁ。

 

ある種の呪縛みたいなものかもしれないなぁ。

 

こんなんばっかり書いたら、とても悪いもののようにも思えるけど、前向きな理由もあって、なんだかんだ言って自分が作っているものが好きなのである。毎回出来上がったものは何度も何度も確認してしまう。先人たちが作り、蓄積してきた知恵をお借りして、ほんのわずかにオリジナリティを足して…

また、評価してくれる人がいないわけでもない、泣いてくれた人もいた。

 

たぶん、辞められない。

揺れることはありつつも、最終的な結論は「続けたい」なんだと思う。

 

となれば、明日からちゃんと進めていきましょ。

ここのところ、ちょっとサボっている。

 

しっかし…

 

毎度毎度思うけど、いろんなことをいっしょくたに考えて、寄り道して、膨らませて、ぐっちゃぐちゃにして…よくわからなくなってしまうのなんとかしたいね。


これでも、頭の中で考えるよりは大分整理されていると思うんだけどね。

まとまらないながらも、記す努力は報われているのかもしれない。

 

 

 

 

とりあえず、結論が「続ける」になったからいいということにしよう。

 

 

文章をもっとうまく書けるようになりたい。